ハイディ・バレットは、カリフォルニアのワイン作りのパイオニアとして知られる醸造家リチャード・グラント・ピーターソンの娘として、ナパに生まれました。幼少のころ、父が働くワイナリーと葡萄畑で夏を過ごすことが多かったハイディは、世界でも有数のワインメーカーになることが、その頃から運命づけられていのでしょう。偶然にも、現在ケンゾーエステイトがあるワイルドホースヴァレー・ランチは、ハイディが子供のころから家族と一緒に乗馬をしたりしながら慣れ親しんできた土地でした。1980年にカリフォルニア大学デイビス校の発酵科学学科を卒業し、「シルバーオーク・セラーズ」と「フランシスカン・ヴィニヤーズ」のジャスティン・メイヤーのもとで働き始めます。
1988年、ハイディはその才能を次のレベルへと進ませ、「ダラ・ヴァレ」のワインメ-カーとして、「カルト」のステータスを獲得するワインを創り出していきます。「マヤ」をはじめとした、ハイディが作る力強くも、エレガントな「ダラ・ヴァレ」のカベルネは、ロバート・パーカーで2年連続して100ポイントを獲得(1992年と1993年)。1992年には「スクリーミング・イーグル」でワインを作り始めます。1992年と1997年のヴィンテージが、パーカー最高点の100ポイントを再度獲得し、それが一握りのワインメーカーだけが到達できる極みへハイディを押し上げました。「スクリーミング・イーグル」の1992年の6リットルのボトルに、2000年ナパ・ヴァレーワインオークションで50万ドルの値が付けられ、ワイン1本の価格としてはアメリカ史上の最高値を記録。ロバート・パーカーはハイディを「ワインのファーストレディ」と呼び、タイム誌は「ナパ・ヴァレーワインの女神」と称えました。
ハイディが創るケンゾーエステイトのどのワインにも、葡萄畑のユニークな特色を表現した芸術性とエレガンスが織り込まれています。